【QA】なぜ呪咀のやり方をお伝えするか?

なぜ呪咀のやり方をお伝えするか

それの回答は以下になります。

だが現実には、自分は絶対に誰も呪っていない、と言いきれる人は数少ないでしょう。

しかも、それでいながら真に呪うことを知っている人は、さらに少ない筈です。

逆転の哲学 呪咀 神義子

人間は(特に、私たちは)儒教の道徳にしばられています。

儒教の道徳って?と言われてもピンとこない方も多いと思いますので、いくつか例をあげます。

儒教の道徳の例

「人に迷惑かけちゃいけないよ」

「いい子にならなきゃいけないよ」

「友達同士仲良くするんだよ」

「先輩のいうことは正しい」

こういうことを言われた方は多いと思います。特に昭和世代の方。

最近は、ちょっと崩れかかってますが、まだまだ残っています。

「呪うことは悪いこと」ほんと?

さて、儒教の道徳は、呪うことを悪いことと、教えます。

例えば、「親を尊敬しなきゃいけないよ」「先輩の悪口いってはいけないよ」と教えます。

たしかに、この教えに従うと「呪うことは悪いこと」になるでしょう。

でも、世の中にはもう一つの道徳があるのです。

それは、老子の(道教の)道徳です。

この老子の道徳は儒教の道徳とは、まったく別物です。

老子の道徳は、人間本来の生きる力を肯定します。呪いも単純に悪いものではなく、祝いに通じるものとして、存在します。

呪いが祝いに通じる例

たとえば、パワーハラスメントについて考えみます。

その昔、といっても30年ほど前までは、まだパワハラは当たり前のようにありました。

いや、当時は「パワハラ」という言葉はありませんでした。

上司の厳しい言葉に従うことが、礼儀正しいものとして、当然のこととされました。

ここで、もし儒教の道徳の通り、上司のいうことを聞いてばかりいては、同じことば永遠に続きます。

ところが、上司の暴力(言葉や物理的身体への)に対して、みな「いや」だと感じてました。

そして、その「いや」をしっかりと呪いとして、我慢しなかった人たちがいます。

「おかしいでしょ」と声を上げて、社会にアピールした人がいます。

もしかしたら、パワハラで子供を失った、遺族の方もいるかもしれません。

その思いは、その瞬間は憎しみや恨みであり、呪いといえるでしょう。

その思いは、いい悪いを超えたものです。

さらに、その呪いを祝に至らせた方もいます。

たとえば、「パワハラ」をやめようという運動をして、社会に訴えた方もいます。

そのおかげで、今は「パワハラ」はやってはいけないこととして、社会の共通認識になってます。

これは、社会がより喜ばしい方に転換したことになり、一つの祝いです。

ちなみに、運動の最初のころは抵抗もあったはずです。

たとえば、「ここまで厳しく叱らないとわからない」「愛ゆえの厳しさだ」「相手のために殴ってるんだ」

みたいなを言葉が、あふれてました。

しっかり呪うが出来ない

卑怯だの、不埒だのという言葉も、つまりは、強者が弱者にかける呪文以外の、なにものでもないのです。躊躇の必要は、毛頭ありません。上手に、猛烈に呪うことから、呪われることのない世界が、開けます。なぜなら、呪いは祝福だからです。

逆転の哲学 呪咀 神義子

ところが、このしっかり呪う(上手に、猛烈に呪う)が出来る人は少ないです。さらには、呪いかを知っている人はもっと少ないです。

しっかり呪うとはどうことか。

それは、日よらずに、開き直って、相手に直角に当たることです。

「悪いかな~」という心の声は聴きません。

「ほどほどでいいんじゃない」という意見にも耳を貸しません。

中途半端な手打ちもしません。

呪いの段階

呪いの段階もいろいろあります。

いやなことをされた、相手に対して呪うのは、その瞬間は気分が晴れるかもしれません。

ただ、構造が同じであれば、また同じことが起きます。

その構造自体を呪い、変えることができれば、新しい世界が開けます。

もう同じことは置きません。

それは祝いに近いといえます。

呪咀が逆転だと言われるのは、まさしく、それが不正に包まれた現世の世界に対峙するからです。

したがって、そこに存在する因果の鎖を断ちきっても、決して、逆転は果たされません。なぜなら、そこには因果的な「力」ではなくて、体用的な「場」が作用しているからです。

だから、不正の元凶を討ち果しても、それで、逆転に成功したことにはなりません。

それは一時的に、あるいは一見、逆転に成功したように見えますが、そのまま、八百長の仕組まれた土俵に残る限り、再び惨敗の憂目をみるのは明らかです。

したがって逆転の仕上げは偏えに、土俵の作り換えにかかります。

逆転の哲学 呪咀 神義子

お勧めはしないけど・・・

このように呪咀についての最終ゴールの認識を共有したくて、呪咀のやり方を伝えてます。

といって、呪いのやり方は伝えてますが、単純に呪いをお勧めしているわけではありません。

個人的には、呪を祝の形まで持っていった上で、活動するのが幸せかと思います。

そのあたりも整理していきます。

ちなみに、今書いた呪いは上等な呪いです。もっと下等な呪いもあります。

上等な呪い、下等な呪い、祝いなどなど・・・
それぞれのメリットデメリットを理解したうえで、
読んだ方が人生や一つ一つの場面で、選んでいただければと思います。

その選択のためのガイドとして役立てば、嬉しく思います。

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