デモは呪術である

デモは呪術である

それは相手の感動を呼ぶか、恐怖に陥れるものでなければならないはずだ。

アメリカの元大統領ニクソンが、眦を決した単独のゼッケン・デモにも、恐ろしく神経を苛立たせたのは有名な話だが、デモ者の眦は、たとえ単独でも、大統領の神経を痛く刺戟するものである。

神義子 『逆転の哲学 呪咀』 本章 八 より

呪術としてのデモ

2023年現在の日本に、呪術してのデモはあるだろうか?

労働者の団結の集会である春闘メーデー中央大会に、資本のサポーターである内閣総理大臣が出席する時代である。

そこには呪術はない。連合会長も内閣総理大臣も仲のよいお友達である。

しかしながら、そんなデモばかりでもない。

SDGsによるゴールと理想の言語化

昨今SDGs(持続可能な開発目標)がブームである。SDGsは持続可能な開発というとおり、資本側の論理の理想ある。しかしながら、資本側の理想ではあっても、理想は人の心を動かす。

SDGsの中で唄われる理想は、偽善的といわれようが、経済のためといわれようが、人権を尊重する観点からみて素晴らしいものである。

素晴らしい世界のゴールを言葉として、表現出来ている。

そして、言葉として表現出来たものは、言霊の魔法により形になっていく。

例えば、LGBTQ+の人権を尊重して、差別を禁止する法律が出来ようとしている。

もちろん、政府は「差別禁止」を「理解推進」に言い換えるなどの、ごまかしを行い、言葉の遊びをしている。

いや逆に、言葉遊びと侮ってはいけない。言葉を変えることで、本質を変えようという呪術を彼ら政府は駆使している。(このあたりの権力側の言葉の呪術は『原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語― 』  安冨歩 に詳しい)

命心魂を尊ぶ呪術としてのデモ

そんな言葉遊びに騙されないデモがある。

理想を持ったデモは、呪術としてのデモである。

今生きている人々の、命を尊ぶ活動は、呪術としてのデモである。

同じく、心を尊ぶ活動、魂を尊ぶ活動は、呪術としてのデモである。

命や心や魂を尊ぶという言い方に抵抗がある方もいるだろう。

確かに、少々文学的かもしれない。

そいういう方は、「人間としての尊厳を保証する」「基本的人権を尊重する」という意味と取ってもらってかまわない。憲法9条に書かれる基本的人権の尊重という理解で十分である。

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