鬼滅の刃の中で、上弦として出てくる六人の鬼がいますが、
一番、人間っぽいなと感じるのは、上弦の参の猗窩座(あかざ)だと思います。
今回はその猗窩座の話です。
※ネタバレ注意です
Contents
猗窩座の悲劇
タイトルには悲劇とあるとおり、
実際、彼は十分悲しい目に遭っております。
あえて解説する必要もなく、
漫画を読めばわかります。
アニメはまだ全部完成していないのですが、
漫画の最終巻近くまで読むと、
猗窩座がなぜ鬼になったかが書かれております。
その悲しい理由を読むと、
最初のきっかけの義は彼にあります。
つまり猗窩座は、
始め呪咀を行いました
人を殺すことは悪いことだと言われようとも、
一般の道徳(儒教の道徳)を離れて、
彼には義がありました。
もちろん、それが「いい」と言ってるわけでもないですし、
それが「悪い」と言ってるわけでもありません。
「法律上、許される」と言ってるわけでもありません。
ただ義があると言っているだけです。
そこは勘違いしないようにお願いします。
道に外れたもの呪咀することは義にかなう
道に外れたものを殺したということは、
義にはかなっているのです。
それが呪咀であるからです。
(注意して欲しいのは、
「道に外れたものを殺してもいい」と言ってるわけではないです。
今の社会において、昔の社会においても)
(本当に微妙なラインの話です。もしも呪咀をする気があれば、しっかり理解してください。
分かりにくいかもしれないけど、しっかり理解した上で、呪咀するかどうかを決めてくださいね)
歴史に「もしも」があるのなら
猗窩座は呪咀を果たした時点で、
満足するべきでした。
(しつこいようですが、この満足するべきの「べき」は
儒教のそうした方が「いい」ではないです。
それが「道に沿っていた」という意味です。)
しかし、猗窩座は無惨の提案に乗り、
自ら鬼となり、
ただただ強さを求めました。
強さを求めるあまり、
義のきっかけも忘れ、
ただただ強さを求める鬼となりました。
全ては強いかどうかの物差しに、猗窩座は支配されました。
「強いことがすべて」という呪詛を行いました。
呪咀は呪詛に化けてしまいました
(2種類のじゅそ、「呪咀」と「呪詛」の違いに関する解説はこちらを参照)
道に沿う行い
もしも道に沿う行い、をするのであれば
無惨の提案には乗るべきではありませんでした。
その意味で無惨の提案は、
呪詛への誘惑であり、
道を外れることへの誘惑でした。
もしかしたら、
あのタイミングでなければ、
あかざは誘惑にのらなかったかもしれません。
その意味で
無惨は煞(さつ)をとらえたと言えるでしょう。
(煞の解説はこちら)
呪詛の達人であります。
猗窩座は、タイミングが悪かったと言えばそれまでですが、
ついていないというのもまた、1つの必然なのかもしれません。
義の眠る猗窩座
ただ鬼になっても
なお
猗窩座には
義が眠っていました
(義が消えた訳ではなく)
それゆえ猗窩座は、
女や子供を食らうことはせず、
それをまた、無残にも認めさせていました。
(上弦の弐の童磨は、「無惨さまに許されていた」と言ってます。
しかし、猗窩座が「無惨に認めさせていた」とも言えます。
猗窩座は無残の部下だが、義として譲れないラインとして。)
義に目覚める猗窩座
義が眠るゆえに、
猗窩座は
戻る(復る)ことができました。
その義を目覚めさせたのが、
炭治郎の拳でした。
炭治郎の拳を通じて
師匠の拳を
己の魂に受けたから
猗窩座は義に目覚めました
猗窩座の悲しみ
猗窩座の悲しみは、
己一人のものではありません。
愛するお嬢さん
お師匠さん
その方たちとの
平和の日々
楽しい生活
希望の未来
平安や喜び
それらに、
泥を塗ってしまったという、
悲しみであります。
呪咀から呪詛へ
深みにはまり、記憶をなくし
ただ強さへの亡者となったことへの
後悔であり
自己批判でもあります
鬼になってからも、目が覚めてからも、物語は続く
しかしながら、
物語は続きます。
お嬢さんは、
ずっとずっと
猗窩座が鬼にとなってからも、
猗窩座が呪詛の深みにはまってからも、
猗窩座を見守っていました。
猗窩座に声をかけていました。
ずっと声をかけていましたが、
しかしながら
声が届くことはありませんでした。
炭治郎の拳が、猗窩座に当たるまでは・・・
お嬢さんは、見守っていました。
お嬢さんは守護霊でありました。
いつも猗窩座と共にありました。
煉獄さんとの戦いの時にも、
猗窩座と共にありました。
ずっと猗窩座の良心を見守っておりました。
(ここでいう良心は、道のことです)
今やようやく声は届き
お嬢さんの手は猗窩座に届き
その温もりを感じることができました
これは文字通りの
祝福であります
呪咀は祝福に通じます。
呪咀は呪咀を包み込みます。
無惨の呪いは解け、
呪詛は愛の前に敗れ去りました。
以上で
猗窩座の物語、呪咀から祝福への物語を
終わります。
そして、また次の物語が始まります。
猗窩座とお嬢さんの物語は
またこの世界において
始まっております
あたかも、まるで
炭治郎や禰豆子や伊之助や善逸が
この現代によみがえり
また生きているように
ここからは、余計な解説です。
猗窩座の悲劇を書くにあたって、参考にした本やサイトです。
ムリに読まなくていいです。
出典を羅列していくので、興味があったら、
リンク先や本を読んだりしてみてください。
タイミング
煞についての引用
呪咀と呪詛の違い
生まれ変わりについて
『スピリチュアルな人生に目覚めるために 心に「人生の地図」を持つ』 江原啓之 講談社
今あれ変わることなどについてのスピリチュアルの解説は書かれております
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