今回は呪咀の2つのゴールのお話をします。
ゴールというのは、呪咀の対象のことです。
対象には、「相手」そのものと、相手や自分を含む「場」の2つがあります。
会社のパワハラの例
例えば、会社でパワハラを受けた場合の話です。
もしもパワハラをしてきた上司がいて、うまく社内に訴えてその上司が懲罰を受けた場合は、これは「相手」をやっつけたということです。
これはこれで一つの呪咀ですし、成功はしてます。
ただこの場合変わったのは、その上司だけであり、会社という場自体は変化はしておりません。
また別の部署にとった時に、同じようなことが起きるかもしれません。
でももしも、やり方はいろいろですが、会社の規定自体を変えさせて、パワハラを禁止するという社内規定を作ったとします。この場合、会社のルールが変わることで、パワハラ起きにくくなります。
これが場の書き換えです。
呪咀の最終的なゴール
呪咀の最終的なゴールは、場の書き換えです。
書き換えることで、力関係が変わります。
場の書き換えは、容易ではないです。相手だけではなく、その場にいる組織やルールに対して働きかけが必要です。そのためには、個人の力量も必要になってきます。
どちらがいいとか悪いとかではありません。
場はの書き換えは難しく、「相手」をただ呪咀することしかできない時もあります。
その時はそれをやるだけです。
可能であれば、場を書き換えることで、同じことが起きなくする。
力関係を変える。新しい考え方を浸透させる。
その方が、祝福に近いとは言えます。
とはいえ早々できるものでもありませんので、ただできることをやるだけです。
「逆転の哲学 呪咀」より引用
引用の中の対応は以下のようになります。
・相手⇔「力」に由来する「変化」
・場 ⇔「場」における「演変」
さらには、例えば、逆転の論理を展開するとすれば、「体用」の理論を避けて通ることは出来ません。「体用」は「因果」に対応しますが、因果が主として「力」に由来する「変化」を説明するのに対して、体用は「場」における「演変」(移り変りや入れ替わり)を扱います。
呪咀が逆転だと言われるのは、まさしく、それが不正に包まれた現世の世界に対峙するからです。
したがって、そこに存在する因果の鎖を断ちきっても、決して、逆転は果たされません。なぜなら、そこに因果的な「力」ではなくて、体用的な「場」が作用しているからです。
だから、不正の元凶を討ち果しても、それで、逆転に成功したことにはなりません。
それは一時的に、あるいは一見、逆転に成功したように見えますが、そのまま、八百長の仕組まれた土俵に残る限り、再び惨敗の憂目を見るのは明らかです。
したがって逆転の仕上げは偏えに、土俵の作り換えにかかります。
神義子 『逆転の哲学 呪咀』 序章 壱 より
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