今回は見え始めたぞの中で書かれた、
瞑想のための準備作業をお伝えします。
引用
この人生はとてもむずかしい
どうすれば
思いやりのある人間になれるだろう?人類の歴史を通じ偉大な師は、あらゆる生き物に対していつくしみの心を育てるためのメディテーション(瞑想)を教えています。まず、静かな場所に正座し、憎しみ、怒り、恨みからくる危険といつくしみの心から得られる安らぎを考えてみるよう説いてます。この教えは、どんな場合にも思いやりを忘れないことの大切さを気づかせてくれるとともにメディテーションを行うための活力を与えてくれるのです。
自分を愛する心があるなら、必ず他人を愛することもできるはずです。最初に、自分の長所と親切な行いについて考えてみながら、自分自身に対するいつくしみの心を育ててゆきます。”苦しみ(怒り、恐れ、緊張、不安、憎しみなど)から解放されますように。幸福に暮らせますように”と思いやりをこめて何度もくり返していくうちに、自分自身に対する暖かい心が生まれてきます。
しかし、このようないつくしみの心を育てるためのトレーニングをするにあたって、まず驚くのは、自分の長所をなかなか見つけられない場合が多いことです。これは、自分の長所を認めることに罪悪感を感じたり、恥ずかしがったりするからです。また、長年、他人の行動や自分の描く理想像と現実の自分を比較しながら生きてきたために、自己けん悪が蓄積されてしまったためでしょう。
メディテーション(瞑想)のトレーニングを始める前に、毎日少しずつでも日日の感想を書き出してみれば、もっと簡単に自分自身へ注目できるようになるかもしれません。
例えば、ある日の感想は
憎しみと恨みの危険性
一 私を恐がらせる
二 不安と動揺をかきたてる
三 私をみじめにする
四 自分に対して批判的になったり残酷になったりするいつくしみの心から得られる利点
一 私の心を清らかにしてくれる
二 体の緊張ほぐしてくれる
三 自分に対して気分がいい(楽しい気分になる)
四 他人といっしょにいるのが楽になる自分の長所
一 しんぼう強くなろうと心がけている
二 悪いところを直して、もっと成長しようと心がけている
三 もっと思いやりのある人間になりたい
四 私のつま先はとても形がいいこのように、毎日、自分を観察し、それを書き出したら、最後に十分間、”思いやりのある人間になれますように”とか”不安から解放されますように”とか”心配事がなくなりますように”といった具合に自分の願いを心を込めて、静かにくり返しながら、願いがかなった時の喜びを想像してみます。
このメディテーションで、自分自身と真剣に取り組めば、良い方向へと変化しはじめた自分を発見できるようになるはずです。
そして、やがては、思いやりの心が自分の中に満ちあふれ、いつくしみの心があらゆる生き物に対して分け隔てなく広がっていくことでしょうー
すべての生きとし生けるものに幸福を
『見え始めたぞ!自己発見メディテーション』 スジャタ著 渡辺明子訳 現代教養文庫 社会思想社 p30-33
考えや気持ちをメモする
メディテーションを始める前に、自分の考えや気持ちをメモすることをおすすめします。
なぜかと言いますと、人間は自分が何を考えているか何を感じているか、言葉にして書かない限り、流されていってしまうからです。
もちろん全てをメモしろと言ってるわけではありません。
ただ自分の中で大事にしていることや、気づいてることや感じたことは、言葉にしてメモすることで明確化されます。
そしてそのメモした内容から、さらにフィードバックを受けて、新しい感想や考えが出てくることが多々あります。
なぜかと言うと、人間の頭の中のメモリーは限界があるからです。
頭の中に浮かんだことを文字にしてノートに書き出すことで、頭の中のメモリーがクリアされて、空きスペースが生まれます。
その空きスペースに、また新しいことを考えたり気付きを得たりできるのです。
だから、日記でもいいですし、手帳でもいいですし、何でも構いません。
考えたことや感じたことを、書いていく習慣をつけましょう。
メモするとなにが嬉しいか
そうやって考えたことや感じたことをメモしていくと、
呪咀の「守破離」の「守」の力が上がります。
集中力がアップするとも言えます。
人の思考や感情はフラフラフラフラします。
そのようにフラフラしている状態では、呪咀はできません。
しっかり相手を狙う必要があるからです。
要は集中力があればいいのです。
ただその集中力というのは、勉強や仕事で使う集中力と
重なる部分もあるのですけども、違う部分もあります。
その違う部分を鍛えるには、上に書いた考えや感情を書いていくというのが
とても役に立ちます。
なぜかと言うと、人は集中を自由にはなかなかできないからです。
例えば好きなことがあれば、気づいたら3時間本を読んでいたとか、あると思います。
あの集中力が必要なんです。
好きなことならできると思うんですけども、任意の対象に対して集中力を維持するのは、トレーニングが必要です。
そのトレーニングとして、紹介しております。
補足
上記の引用では、いつくしみ深い人になることが書かれております。
これは呪咀の考え方と矛盾するんじゃないか、とツッコミを入れてくれる人もいると思います。
たしかに矛盾します。
でもこの矛盾は、あって当たり前の矛盾です。
要はですね・・・
呪咀するにしろ、いつくしみ深い人間になるにしろ、
個人個人が自分の人生を考えて、選ぶことができるのです。
そして選ぶためには、どちらを選ぶにしろ、メディテーションの訓練は必要になると思います。
逆説的ですが、いつくしみ深い人間になれることが選べる人が、呪咀を選べるのです。もちろん、祝福も選べます。
逆に選べないような人は、儒教の道徳に縛られた、呪詛の世界にとどまることになるでしょう。
つまりメディテーションをしないと、儒教の道徳に縛られて、自分の感情を大事にすることもできず、迷いの人生を歩むことになるでしょう。
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