「呪ってはいけない」ー儒教の呪縛を解くー

今の日本では、まだまだ儒教の道徳は根強く残っています。

目上の人を敬いなさい
家族を大事にしなさい
礼儀は大事よ

確かに一見すると、いいもののように見えます。

ただこの儒教の道徳に縛られていると、呪咀できなくなってしまいます。

なぜなら、道徳的には呪うのは悪いことだからです。

呪咀しようと決めた後

さてさて、呪咀しようと決めたとします。

決めた後も、儒教の呪いはしつこく付きまといます。

その結果、呪咀の力を100%出せないことがあります。

なので、その儒教の「呪ってはいけない」ブロックを解除することが必要です。

ブロックの取り方

ブロックの取り方の一番根本的な方法をお伝えします。

それは許可を出すことです。

「呪ってはいけない」の許可を出すので「呪っていいよ」という言葉を唱えます。

できれば、その事情をセットにして、自分自身に伝えてあげます。

「○○されたんだから、呪うのは当然だよ」「呪ってもいいと思うよ」

もしも呪いという言葉に抵抗があるのなら、憎しみとか恨みに変えても構いません。

「○○されたんだから、に憎く思うのは仕方ないよ」

そうやって、あなたの中にある呪いや憎しみや恨みを、許可してあげてください。

許可をした上で、離れてもいいし、呪い続けてもいいです。

ただ一度許可が必要です。

それをしないと、その呪いや憎しみや恨みは、あなたから離れた場所で、ただ彷徨うばかりです。
一度その気持ちを、あなた自身の身に惹きつけて味わってください。

感情が移り変わっていくプロセス

もう少し詳しく話をしますと(わかりにくいので、下に例を書きました)

憎しみや恨みを感じた後に、感情が移り変わっていきます。(いくことがあります)
憎しみや恨みの本体は、怒りや悲しみだったりします。

そうしたらその移り変わった悲しみを、しっかり感じます。

さらに詳しく話しますと

その悲しみ自体も、本来であれば喜びや嬉しいという感情が元にあることもあります。

すると、怒りや悲しみが、喜びや嬉しさに移り変わっていきます。

そしたらその喜びは嬉しさを味わいます。

例を出します(いじめの例)

いじめられたとします。
そしていじめられた相手を恨んだり憎んだり呪ったりします。

しばらくすると、自分自身が大切に扱われなかったということに、怒りや悲しみを感じます。
この時は、相手に対して向かうというよりも、自分自身を大事にしたいという
大事にしたいけど大事にできないその気持ちが、怒りや悲しみとして感じられます。

そこからさらに感じていると

その怒りは悲しみも、本来は、同じ仲間や友達として過ごしたかったという。
一緒に楽しみたかった、嬉しい時間を過ごしたかった。
そういう喜びは嬉しさに本体があったりします。

(以上必ずしもそうではないですけど、そういうケースもあるという話です)

感情がポジティブに移り変った場合は、呪いは不要(祝福になった)

このように感情が追加って言った場合は、呪咀は不要です。

というよりもこれは、呪咀が祝福に変化したということです。

どうぞそのままポジティブな感情で過ごしましょう。

まとめ

ブロックを取るには、「○○していいよ」で自分自身に許可を与えます。

呪いの気持ちが、移り変わることもあります。
もしも、ポジティブに変化したら、それは祝福なので、呪咀は不要です。

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