-資料さえあれば、天気図を作ることは誰にも出きる。
だが天気図を作ったからと言って、正確な天気予報が出来るわけではない。
人々が知りたいのは、多くの場合、天気の概況がどうなっているかではなくて、明日、雨が降るかどうか、ということだ。
天気図とは、いわば八卦のようなもので、問題はその読みかたにある。
具体的に明日、雨が降るか晴れるかは、むしろ田舎の古老がその前の日の夕方、表に出て、雲の動きを目で捉え、風の流れを肌で感じた結果下す判断の方が正しい場合が多いー。
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なにがしかの霊感に頼るものは、易の基本を全く知らないし、或る程度の基本を身につけたものには、まるっきり霊感が働かないから、天気予報のようなもので、あまり頼りにならない。
もし天気予報の描いた天気図と田舎の古老の勘が結合出来るならば、当る天気予報を期待出来るようなもので、易の基本も弁え、霊感も鋭い人が占いをやれば、当るのは当前だー。
逆転の哲学 呪咀 神義子
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