いいんですが・・・
でも気持ち悪い
なぜなら、呪のない人はほとんどいないから。
なにかを隠しているのではないか、と思います。
なぜなら、彼が読んでいる多くの本の中には(すべてではないですが)「呪」が沢山あるから。
著者が書いた「呪」を切り捨てて、若松英輔さんの読みたいように読んでる気がします。
それもまた一つの在り方でしょう。
でも、なんか変です。
モーツァルトの音楽は美しく、長調の曲が8割以上です。それでも、「呪」の要素はあります。数少ない短調の曲の中に、深い深い「呪」がひそんでいます。
例えていうと、若松英輔は長調だけのモーツァルトのようです。
もったいないなと思います。
たぶん若松英輔さんは「いい人」なんでしょう。
儒教のいいを体現してる(ふりをしてる)のかもしれません。
ただ、思うのは、あなたの読んでいる本の著者たちは、その外に本質があるかもしれませんよ。
「呪」に本質があるかもしれませんよ。
ということです。
平たく言うと
「わかったつもりになるなよ、この賢者が!」というお叱りです。
周公旦が人類の宿命を背負って、悪魔の呪いを最初に具現した人物であるならば、さしずめ太公望は、歴史の宿命を担って、悪魔の呪いを最初に呪い返した男ということになる。
周の王朝が築かれると、太公望は、その功によって斉の国に封じられた。
当時、斉の国には、狂矞と華士という二人の有名な兄弟学者がいた。
太公望は斉候として都の営丘に着任すると、すぐその兄弟を訪問し、二人の協力を求めたものである。
だが、それを兄弟はきっぱりと拒絶した。
太公望はすかさず、部下に兄弟の逮捕を命ずる。
しかもすぐその場で首を刎ねた。
魯の国にいた周公旦は、それを聞きつけると、急使を遣わして、太公望を難詰した。
「夫二子賢者、今日響国而殺賢者何也」
ーかの二兄弟は賢者である。いま国を賜ったばかりだというのに、賢者を殺すとはなにごとか、というわけである。
太公望は答えた。
-二人の馬鹿兄弟は賢者を鼻にかけて、世俗の名利は要らないと言う。
それは明らかに虚言だ。
彼らは私からの協力を断ることによって、自らの身分をつり上げようとした。即座に拒絶することで、目的が達っせられると考えた。しかも、彼らは世俗としての政治を拒否することで、自ら特権階級を気取った。
神義子 『逆転の哲学 呪咀』 本章 弐 より
コメントを残す