呪咀する自分は醜い

呪咀をするとき、あなたは醜いです。

人を恨んで呪っている時、外から見たら醜いのは仕方ありません。

「醜い」という字に「鬼」という字が入っているように、
呪っている時あなたは鬼になっています。

ただし、呪咀であれば、不動明王として怒っております。
道理を踏み外したものを、呪うことは、全然問題ありません。
(ここでいう道理は老子の言う道理です)

怒ってるのだから堂々と怒りましょう。

できればさっさと祝福へ

ただもしもできるのであれば、さっさと祝福へ行ってしまいましょう。

四六時中の呪っていると、体力的にも厳しいです。

心や人間関係にも不調が出てきます。

もちろん、それらの不調は守破離の「離」で回避することができます。

呪詛になるとやばい

もしも、呪咀から呪詛になってしまったら

鬼に同化している可能性があります。

鬼滅の刃の鬼たちを見てください。(読んだことある人は)

あんな風になりたくなければ、さっさと祝福へ行きましょう。

もしも呪咀をするにしても、守破離はできるようになりましょう。

それでも一番大事なのは、あなたの尊厳

ただ以上はテクニカルの話です。

もしあなたが守破離もできず、一日中呪ってたしまったとしても。

相手があなたの尊厳を傷つけるのであれば、それはやっても構いません。

遠慮いりません。

むしろやるべきと言えます。

鬼になってしまっても、やるべきと言えます。

ただ、それをやりながら、守破離をやり、仲間をつくり、あなたは尊重される場に変わることはできます。

できる範囲でやりましょう。

さらに補足

さらに補足をしますと、もし呪咀に疲れたら休んでも構いません。

映画を見たり、音楽を聴いたり、旅をしたりするのもありです。

自由にしてください。

ただ何をやってるかを、自覚して選べるようになっていきましょう。少しずつ。
自覚して選べると、荒ぶる心に振り回されないで済みます。

それはあなたの知らせが増えてくるということであります。

あなたの心の平安が増えていくということです。

呪咀は呪詛でしっかりやる。
心は心でしっかり尊ぶ。
体は体で休める。
魂のことも考えてみる。

あなたの呪咀の元である荒ぶる心
それは愛でもあります

あなたの愛や荒ぶる心も大事にしてあげましょう。

大事にするとはどういうことかと言うと、
自分でわかって選ぶということです。

選ぶためには何が必要かと言うと、
自分の心を知ることが必要です。

瞑想や座禅などが助けになるでしょう。

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