呪咀の秘法の型「守破離」 ー瞑想のヒント2ー

前回から続いて、「見え始めたぞ」から引用していきます。

引用

あなたは毎日
 あなた自身の感情に
責任を負っている

だれも無理やりに
  あなたを不幸にしたり
    神経質にさせたり
できないのですから

メディテーション(瞑想)を行なう人が
  物事を選ぶ方法は
  とても簡単

自分のためになることは
   実行する
そうでないことは
   遠ざける

精神的成長の
第一ステップは

自分の
好きなことを実行し
そして、それを
実行している自分に
気づくこと

どこに
自分を
連れてゆくのですか?

(そこは
 努力して行くだけの
 価値がありますか?
 そこはあなたが本当に
 行きたいところ
 ですか?)

『見え始めたぞ!自己発見メディテーション』 スジャタ著 渡辺明子訳 現代教養文庫 社会思想社 p18-23

呪咀をするにあたって、メディテーションが1つのトレーニングになることをお伝えしています。

しかしながらそもそもの前提として、
儒教の道徳、呪詛に縛られている人たちが、呪咀や祝福を選べるか?
という問いがあります。

自分が何をしたいかを選ぶためにも、メディテーションは1つの道具になります。

そもそもメディテーションの訓練はあまりせずに、自分が本当にしたいことを選ぶのは
難しいとも思います。

自分が本当にしたいことを選ぶために

ヒントはここにあります。

「精神的成長の第一ステップは
自分の好きなことを実行し
そして、それを実行している自分に気づくこと」

2段階になっていることに、注目してください。

①まず好きなことを選んで実行して、
②次にその結果を感じてみるという
2段階になっております。

これがほとんどの人はできていません。
できないことは全然悪いことではないです。
なぜならそういう訓練を受けてないからです。

ただ、呪咀をするにしろ、祝福するにしろ、儒教の道徳に生きるにしろ・・・

その道を選ぼうとも
上の2段階のプロセスを得ずに、選ぶことはできません。

上記の2段階のプロセスをできない人は、本人は選んだように思ってるかもしれませんが、
実はただ流されているだけです。

別に好きなことを選びなさいという意味ではありません。
「見え始めたぞ」は好きなことを選ぶことを書いておりますが・・・

苦しみを選ぶのも一つの人生です。

ただ自分で選んでば自分でやめれますが、
自分で選んでないと、やめれず迷い続けます。

だから繰り返しになりますが、
どの道を選ぶにしても、
メディテーションというスキルは必要になると思います。

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