むかし、むかし、ナンダという、自覚の大切さを知らない若い僧がおりました。ある日、ナンダは、サンガラという悟りを開いた大先生に自分のいちばん上等な衣を贈ろうと思いつきました。(えらいお坊さんに、こんな気前の良い行ないをしてみせればきっと良いことがあるに違いない)。そう思うとナンダの心はこのアイデアにワクワクしてきました。
”このりっぱな行いで、私もじきに悟りを開くことができるぞ”とナンダはかってに決め込んでしまったのです。この若い僧は自分がなにを考えているのかよく注意して観察するトレーニングが足りなかったために、このアイディアを不純にするわがままな欲と、とらわれの心には気づきませんでした。
次の日、ナンダはサンガラが寺をでてゆくのを今か今かと待っていましたが、サンガラが出かけるやいなや、すぐにサンガラの宝をそうじし、飲み水と洗い水、そして座ぶとんと花を用意すると、贈り物の衣を出してきて、サンガラの帰りを待っていました。しばらくたって、サンガラが戻ったのを知ると、ナンダはすばやく出迎えに行き、ていねいあいさつすると、さっそくサンガラを室へ連れてゆきました。大先生は自分の室がとてもきれいになっているのを見て、ナンダの親切な行いをうれしく思いました。ナンダは大先生に座ぶとんをすすめると、まず飲み水をくんできて、次に大先生の足を洗ってあげました。それから、シュロの葉で作ったうちわでサンガラをあおぎ始めると、自分の一番上等の衣を受け取ってほしい、と例の贈り物を差し出しました。
これを聞いた大先生は、ハハ―、この若い僧は自分の欲にも気づかずに、このような贈り物に心をとらわてしもうたな、とすぐにピンときました。しかし、自覚のない心の危険を教えてやるには今がいい機会だと見て取ったサンガラは、「自分は必要な衣はひとそろい全部持っているからこの贈り物はいらない。むしろ衣を必要としている僧にあげなさい」とナンダに言い渡しました。ナンダは、他のだれかにあげなさいなどとは言わずに、この贈り物を大先生にありがたく受け取ってもらおうと、何度も何度もサンガラにすすめるのでした。
しかし、サンガラのていねいな断わりにナンダは感情を害し、今度は怒りがこみ上げてきました。このような心の曇った状態で、ナンダは立ったまま大先生をうちわであおいでいたのですが、怒りを払いのけ、あおぐことに専念しながら自覚の心を養おうともせずに、ナンダはさっきのことをくよくよ考え始めたのです。贈り物を断わられたことに心がふらふらとつられてゆき、いろんなことを空想しているうちに、ますます腹が煮えくりかえってきました。
”サンガラが贈り物を快く受け取ってくれないのなら、僧なんかやめてやる!もう一度自分の家を持とう!”と、ナンダは自分にいいきかせました。すると、考えが次から次へと巡ってゆき、立って大先生をうちわであおいでいる今の場所から遠くへ遠くへと心がひとりでに漂い始めました。
”自分の家を持つとすれば、どうやって生活していったらいいだろう”そうだ!この衣を売って雌ヤギを買おう。雌ヤギが子供を生めば、それを売ってお金をもうけることができる。お金がたまったら妻をめとり、男の子がさずかる。そうなったら、うば車にむすこを乗せ、妻といっしょにこのサンガラ先生のところへあいさつに来よう。旅の途中で、”むすこをだっこして歩きたいから連れてきてくれ”と私は妻に言う。すると妻は、どうしてだっこするの?あんたはうば車を押していればいいでしょ”と言いながらも、子供をかかえ上げると、かわいさのために今度は自分でだっこして歩きたくなった。しかし、力が弱くて子供を道ばた端に落としてしまい、うば車のちょうどまん前に落ちた子供は、車輪の下敷きになってしまうう。そこで私が”なんていうことを!おまえは私の夢をだいなしにしてしまったじゃないか”と怒りながら、棒で妻の頭をたたく(‥‥‥)。
こんなことを考えながらも、ナンダはまだ立ったまま大先生をうちわであおいでいましたが、空想に夢中になりすぎて、シュロの葉のうちわで思わず大先生の頭をバシッとたたいてしまいました。たたかれたサンガラは、(どうしてまた、ナンダは私の頭をたたいたりしたんじゃろ?)とふしぎに思っていると、ナンダの心がさまよっていた空想の一部始終をたちまちのうちに感じ取りました。「ナンダ、おまえはその女をたたきそこねたようだが、この私が何かたたかれるような悪いことをしたかの?」とナンダに言ってやりました。われにナンダは、(なんと、面目のないことをしてしまった。大先生は私の頭の中を巡っていたバカな考えを全部ご存じたのだ)、とまっかになりました。
「許してもらいたければ、まず私の前に来て座りなさい」と、サンガラの言葉に、ナンダはさっき得意になってそうじしたばかりの床に目をふせたまま、震えながら大先生の前に座りました。
サンガラは静かに落ち着いた口調でナンダに言い聞かせ始めました。「ナンダ、おまえは自分の考えを注意深く監視する努力を全然しなかったじゃろ。監視を解かれた考えが取りとめもなくさまよってしまったおかげで、いらぬことに悩んだりする始末になったのがわかったか。おまえは、自分の考えた段取りどおりに贈り物を受け取ってもらおうと決めつけてしまったために、その贈り物はもう真心のこもった贈り物ではなく、たんなるおまえの要求になってしもうたのじゃ。要求が受け入れられないとなると、おまえは勝手に腹を立て、この怒りも監視人のいない心の中ではどんどんふくれ上がり、最後には、おまえから完全に自覚する力を奪い取ってしもうた。立って私をうちわであおいでいるうちに、我を忘れ、今という時間から遠くかけ離れた空想の世界へと夢中になってしもうたのじゃ」
「自覚のない考えというものがどんなに危険か、わかったか?心がちゃんと監視されておらんと、人は痛ましくも有害な心に支配されてしまうのが、わかったかの?ひとつでも不健全な症状が心に現れれば、心はそれによって力が弱まり、どんどん感情に影響されてしまうものじゃ。わがままな欲に力を吸い取られてしもうた心は、ついにはとらわれの身となって、失望、怒り、妄想、そして最後には後悔といった苦しみに押し流されてしまう。
ナンダよ、根気強くじょじょに自覚を高めてゆくのじゃ。もうわかったじゃろうが、今の瞬間をちゃんと自覚して生きとられん者は、つぎからつぎへと苦い経験に引きずられて行ってしまうものじゃ。尽きることのない欲と痛ましい心のとらわれを注意深く監視することを学んだ者は、苦しみをすぐに捨ててしまうことができるのじゃ」
『見え始めたぞ!自己発見メディテーション』 スジャタ著 渡辺明子訳 現代教養文庫 社会思想社 p92-99
かなり長い文章ですが、引用しました。
総まとめのような内容になっております。
心が流され妄想に浸っていく様が、生々しく描写されております。ユーモアもまじえながら。
良かったら読んでみてください。
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