よくある質問として、「呪いは悪いことなんですか」があります。
今回はそれに対してお答えをしていきましょう。
答えの前に
答えの前に質問があります。質問というか考えて欲しいことですね。
いいとか悪いとか、学校で習いますが、本当でしょうか?
学校で習ういいとか悪いはとても分かりやすいです。
そしてみんな学校に行っています。
なのにいじめは発生し、社会的な不正の発生し、戦争もまだあります。
差別もあります。
みんないいとか悪いよ習っているはずなのに
習って大人になっているはずなのに
まだまだ問題は山積みです。
話を戻しますと、学校で習う道徳は偽物です。
老子が言っておりますとおりです。
「大道廃れて仁義あり」
本当の本当の道徳がなくなって、偽物の道徳が現れた。
偽物の道徳とは、講師が解く、儒教のことです。
儒教の道徳です。
儒教の教えとは
例えば
年長者を敬いなさい
女の人は家庭でしっかり守りなさい
男は仕事をしっかりしなさい
礼儀を大事にしなさい
というやつです。
一見もっともらしいです。
一見すると良いことのように見えますが、実は現代日本の停滞の理由はここにあります。
極端な例ですが、体育会系の部活を思い出してください。
特に昭和の時代のです。
先輩の言うことは絶対で、理不尽なこと言われても我慢しなければなら。
なぜかと言うと、先輩の言うことだからです。
先輩は偉いからです。
なぜ先輩が偉いかというと、年上で目上の人だからです。
と儒教の道徳が教えているのです。
この儒教の道徳は、私たちの大事なものを殺してしまいます
それは何かと言いますと、私たちの心です。
楽しむ心とか嬉しい心とか悲しい気持ちとか、そういうのを全部我慢することになります。
もちろん、昭和の時代にも楽しいこととか嬉しいこととか悲しい気持ちとかはありました。
それがないというわけではありません。
ただそれらは、儒教の道徳で許される中でしか、表現されませんでした。
表現されないばかりでなく、授業の道徳で許されない場合は、我慢するしかありませんでした。
例えば、「男は人前で泣くべきではない」という(これも男らしさ、家父長制を源とする儒教の道徳です)ルールに縛られた男性は、泣きたくなるような感情を、こらえて我慢するのです。
それは一見かっこいいことのように思えますが、確かに昭和の時代はそれしかなかったのですが、
感情を殺しているということです。(「そしてその殺された感情はどこに行くのでしょうか」という話もありますが、今は別に置いておきます。)
感情殺された存在(人間)は、実は生きてるとは言い難いのです。ただ礼儀の中に、ルールの中に縛られて、振る舞っているだけです。人間の根本存在を規定している、心(感情)を殺してしまうと、その人間は、息が詰まっていきます。
話が長くなりました・・・
要は、儒教の道徳が人の感情を殺すので、クソであるということを言いたかったのです。
答え
その上で質問に対する答えをします。
質問「呪いは悪いことですか」
答え「いいえ悪いことではありません」
質問「なぜですか?」
答え「呪いは、人間が持つ、根本の感情に基づいているからです」
質問「根本の感情とは何ですか?」
答え「『自分や自分の周り大事な全ての存在を、大事に思う心、尊ぶ心』です。」
質問「具体的に教えてください?」
答え「詳しくはこちらに書いてあります。こちらを参照してください!」
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