アニメ好きの感想の話です。
明確に根拠があるわけでもなく直感的に話してるので、そのつもりで聞いてください。
つまり、「何を根拠に語ってるんだ」って言われても、すいませんと謝ることになります。
今回は最後炭治郎が鬼になりそうになった話を取り上げます
Contents
いい人炭治郎の心配な点
アニメを見ていて感じたのが、主人公の炭治郎がとてもいい人だということです。
もちろん主人公として、努力もしますし、成長もするし、なんだかんだ言って強かったりします。
ただ、なかなかその強さは表に出ず、なんかギリギリでやってる感じを受けます。
いつも勝つか負けるかのギリギリを渡り歩いているのが、主人公の炭治郎です。
そしていつもとっても真面目です。
相方の善逸や伊之助が面白キャラなのもあるのですが、炭治郎はとても堅物です。
一緒にいたら鬱陶しいと思うかもしれません。
少し天然のところは可愛いですね。
炭治郎はいい人すぎて、心が折れないか見ていて心配になります。
炭治郎の心が折れるとき
そして炭治郎の心が折れるのは、最後の最後、鬼に取り込まれ同一化を迫られる時です。
「疲れたな~、もういいや・・・」と心が弱くなったところに、鬼の誘惑がやってきます。
その様が、「いい人」が心折れて行く時の様子として、すごくリアルでした。
いい人は頑張ってるんです。
頑張って頑張って、そして限界が来た時に、疲れて、「もういいや」と全てを諦めるのです。
これがいい人ではない、野人の伊之助だったら、また別の誘惑になるのかもしれません。
物語の中で、鬼や柱を含めて、最も「いい人」の炭治郎です。
この疲れというのが、いい人疲れしている読者の人にまた共感を呼ぶのでしょう。
リアルな話をすると、いい人は心病んだ時に、大抵鬱っぽくなります。
もう一つのパターンは、良い悪いでジャッジしすぎて、世界を憎む人になります。
炭治郎が、鬼に取り込まれるのも、もっともな話なのかもしれません。
そしてそれを救ったのが、仲間たちでした。
ダークサイドに落ちるのを救ったのが、共に戦った柱や鬼殺隊の面々でした。妹の禰津子でした。
逆に言うと、彼ら仲間がいなかったら、炭治郎は闇に落ちていたでしょう。鬼になっていたでしょう。
しかしながら、物語の必然として、仲間はいました。
そんなの漫画の中の話だけじゃん。
と思った方、大事な話があります。
大事な話
そして物語だけではなく、この現実世界においても、我々には仲間がいます。
もしあなたが一人、引きこもっていたとしても、潜在的な仲間はいます。
その辺りを描いたエッセイを紹介します。
革命における共闘とは、思想の共有でも、感情的な結びつきの共有でも、「現場」の共有でもなく、目的の共有である。それぞれの持ち場で自分なりの戦いを続けていうことこそが、革命の正しい手順である。誰かにとっては国会前で自らの要求を叫ぶことが戦いかもしれず、別の誰かにとっては同僚の差別発言を笑って流さずに「それ、差別的ですよ」と言う勇気が戦いかもしれないし、また別の誰かにとっては、今を生き延ばすことそのものが戦いになるだろう。
(中略)
同じようなことを何度も言うが、「本気」は常に大事にせねばならん。本気という言葉もまた、この世の毒気に意味を奪われてきた概念だ。これもちゃんと奪い返そう。無力な身体から、本気の革命を志向し、実践していく。権力に奪われたものを、ちゃんと奪い返す。私が志しているのは、そういうことなのだ。
高島鈴 布団の中から蜂起せよ:アナ―カ・フェミニズムのための断章 序章より
この方は、呪咀をしています。
引きこもって一人である。布団の中にいる。
それでも、共闘とういうものがある。
と言ってます。
極端に思うかもしれませんが、これも一つのつながりです。
仲間であります。
この仲間が炭治郎を鬼から救ったように、弱ったときの私を救ってくれるでしょうか?
回答としては、救ってくれます。
なぜなら、言葉通りですが、共闘するものたちだからです。
(うまく言葉にできず、すみません。同じことを繰り返すトートロジーですね)
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